2011年11月29日火曜日

12/11新潟脱原発アクション

みなさま 重複ご容赦 ! 情報拡散歓迎。

「12.11 脱原発デモ行進 &「TVに映らない福島のいま」講演会」のお知らせ

3月11日の原発震災から9ヶ月になる12月11日(日)、以下のように、新潟市で 「脱原発デモ行進」と郡山から被災された方々をお呼びして原発震災の真実の声をうかがいます。また、郡山の子どもたちの高線量被曝の危険から差止め請求裁判を展開している原告団長からその経過と現状についてお話いただきます。

ご参加ください。


12月11日(日) 福島原発震災から9ヶ月になる日、以下のような行動をよびかけます。ご賛同いただける形でご参加下さい。

13時に、石宮公園(新潟駅万代口 新潟ステーションホテル向い) に集合しましょう。

◎石宮公園から 礎町 木揚場教会までの「脱原発デモ行進」

14時(デモ終了後)から、

◎(郡山) 黒田節子さん&柳原敏夫郡山集団疎開裁判弁護士講演を聞きましょう。

テーマ 「TVに映らない福島のいま」
– お日さまと遊ぶ子どもたち、放射能と暮らす子どもたち 

会場 新潟市中央区礎町通上一ノ町 本願寺木揚場教会 
tel 025-229-1870

いずれも、参加費無料です。
(但し、木揚場教会は駐車場がありません。)

主催「12.11脱原発100万人アクションin新潟実行委員会」
連絡先  小池  090-9586-2346   ikeike0904@live.jp
http://611niigata.wordpress.com/ twitter   @611niigata

2011年11月17日木曜日

10月27日~29日「原発いらない福島の女たち~100人の座り込み」アクション参加報告

私も呼びかけに賛同し、28日ほんの一日でしたが、霞が関の経産省前座り込みに行ってまいりました。
原発反対を意味する黄色い服装か、何か黄色のものを身につけて参加してとのことだったので、「そう
だ、沖縄県知事選に参加した際に着た黄色のTシャツがあった!」と早速着込んで7:01新潟駅発の新幹
線に乗り込みました。
105
分前に現場へ到着したときは、もう沢山の参加者でテント周辺は一杯。マイクを握った社民党々
首の福島みずほさんが「原発再稼動は絶対反対・・・」と言っている声と姿が目に飛び込んできました。
傍には、子ども福島ネットワークの椎名千恵子さんが和服姿でいらっしゃるのを見つけ、ご挨拶。
すると、直ぐ近くに、十日町の三羽のトキの衣装のお一人を発見。「私も新潟から来ました」とご挨拶。
その近くには、ハイロアクションの三春町から武藤類子さん、野田首相の訪米日程に合わせてニューヨ
ークの国連本部前で眼前に現れた首相に「野田首相、福島の子どもたちを守れないで、原発の安全を世
界中に言うなんて卑怯だ」と叫び、「事故ですべてが変わった。安全な原発などあり得ない」と述べ、
世界の人たちが一体となって原発を無くすべきだと訴えた川俣町でやまなみ農場をやっている佐藤幸子
さん、そして、「福島原発全機即時廃炉に」を訴えた福島県議選出馬の佐々木慶子さんと錚々たるメン
バーの姿があり、折を見計らって彼女たちもそれぞれの訴えをリレートークなさいました。
私も急遽参加者名簿に登録し、陽だまりのある場所で座り込みに参加。
「原発はいらない、福島の子どもたちを安全な場所に避難させてほしい、原発輸出や原発再稼働に反対
」と訴えました。
 
1030分からプレス向けに今回のアクションの意図の説明がなされ、質疑応答もあり、主に佐々木慶子
さんが対応して、「私たちのアクションを広めて欲しい」とアピールしました。多数の報道陣がカメラ
と録音機を携えてスピーカーを取り囲み取材していたので、新聞に大きく報道されるとの期待が木っ端
微塵に裏切られるとは予想しませんでした。原発推進派の国と電力会社は膨大なお金を使ってマスコミ
を黙らせていることは聞いて知っていますが、どの新聞社もそこまでプライドも使命感も無くしている
現実に、改めて愕然となりました。
それでも、一社のみですが、夕刊に座り込みを報道した東京新聞がたのがせめてもの救いと言えます

テントの周辺には日毎の座り込み参加人数や日程表、スローガン、等々が、所狭しと張り出されていまし
た。参加者たちがそれぞれの想いを表現したプラカードやバナーなど、可愛いものからかなり芸術的な作
品になっているものまで、いろいろ沢山ありました。
経産省を包囲するための指編みのチェーンを作っている女性たちが真ん中に毛糸を置いて、輪になってお
しゃべりしながらせっせと編んでいました。

前日の2711時には「福島の女たち」からの、4つの要望を書いた書面が経産省に届けられました。
それら4つの要望は、内閣府総理大臣 野田佳彦様、経済産業大臣 枝野幸男様、原発担当大臣 細野豪
志様、資源エネルギー庁長官 高橋一郎様、原子力安全・保安院長寺坂信昭様に宛てた「原発即時廃
止・子どもたちの疎開に関する要請書」で、
(前略)福島第一原発事故は、人類と核は共存できないことを明らかにしました。人間の健康を破
壊するエネルギーは不要です。私たちは、人間の「いのち」と共存できる新たなエネルギーを基本
とした社会への転換を強く求める立場から、以下の通り要請します。 貴職におかれましては、当要
請書に対する文書での真摯な回答を20111111日までに要求します。
【要請内容】
1.すべての原子力発電所を直ちに停止させ、廃炉とすること。
2.定期点検・トラブル等により停止中の原子力発電所の再稼働を行わないこと。
3.子どもたちを直ちに、国の責任において避難・疎開させること。また、すでに避難し、または
これから避難する住民に完全な補償を行うこと。
4.原発立地自治体を補助金漬けにし、自立を妨げる原因となっている電源三法(電源開発促進税
法、 電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法)を廃止すること。
(以上)
と言うものです。
だが、担当者は「原発への依存度を、中長期的に可能な限り引き下げていくというのが政府見解。
放射線量の高い場所では除染に努めたい」と繰り返すだけ。福島市の元養護教諭、佐藤早苗さんが
「除染している時は周囲の放射線量が高くなるので、先に妊婦や子どもたちを避難させてから作業
をしてほしい」と訴えたが、回答は・ネかったとのことです。
「国は除染、除染というけれど……」。懸命に除染をしても、大雨で山から土砂が流れ出ると線量が元に戻
ってしまう。まずは「子どもたちを疎開させてほしい」というのが参加者の総意だ。交渉の末、28日、官邸
に場所を移し首相補佐官に要請書を手渡したと報告がありました。
テント前では原発輸出反対署名もありました。

私は座り込みの間にも、時々席を立って新潟から知っている人は参加していないか探してみましたが・・・
暫くすると、「あら、お馴染みになった姿が。石山さ~ん、ここで~す。」脱原発をめざす新潟市民フォー
ラムの石山謙一郎さんでした。午後12:30から参議院会館で開かれる福島市渡利地区住民政府交渉の傍聴にい
らして、こちらの座り込みへも脚を運んでくださったのでした。高橋和彦さんと華枝さんご夫妻も午後から
参加と伺っていましたが、残念ながら、すれ違いになってしまいました。

お昼時は、たくさんの経産省で働く人たちが経産省分館建物から出てきます。
お昼はそちらでアピールしようとの誘導で本館付近から移動。
分館玄関前の道路の両側に並び、建物からぞろぞろ出てくる人たちに向かって、「原発いらない、子どもを
守れ、故郷を返せ」と声を挙げました。経産省の女性の多くは下を向き、男性たちは私たちと目を合わせな
いように、そっぽを向いて足早に通り過ぎようとしました。たんぽぽ舎の柳田真さんも、「原発の再稼動を
止めよう。原発はいらない」と演説。
その他、福島市から福津市へ避難している宇野朗子さんは「世界が原発や核と決別するよう、祈る気持ちだ」
と話しました。数人の若いお母さんたちも歌を歌ったり、それぞれの言葉でアピールを。
通り過ぎていくサラリーマンや通行人の殆ども本当に無関心そう。まるで、自分の問題ではないと思ってい
るようでした。
お昼休みの最後に建物の中にいる経産省の窓へ向かって、「原発いらない、子どもを守れ、原発廃炉」と、
う一度シュプレヒコールを挙げました。

その後は、渡利地区住民の政府交渉の傍聴へ行く人もあり、座り込みに残る人もありでした。私は、場所を
本館正面前に変えて座り込みを続けることに。
座っている間に、近所に座った人たちと情報交換したり、写真を撮ったり。
私が話し掛けた参加者の多くは、都内や千葉県、神奈川県、茨城県など近隣に住んでいる福島県出身者や福
島県に親戚があると言う方たちでした。異口同音に不安や親或いは子どもや孫たちへの心配の声、不誠実な
政府関係者や東電への怒りの声を聞かせてくださいました。
分館前アピール後には、都内から参加している人たちのグループがおにぎりやおやつの差し入れをしてくだ
さり、お弁当を持って行かなかった私は唯々感謝。

2時過ぎ頃、急に辺りが騒々しくなりました。経産省と道路を挟んで向かい側にある外務省の前を日本国旗を
付け、団体名と「領土奪還」などとスローガンをデカデカ書いた極右翼の黒塗りの街宣車が6台連なってゆっ
くり走りながら、「尖閣諸島は日本の領土だ、外務省は何をしている、腰抜けめ!」等とがなり立てていま
す。最初は、外務省への抗議だったのが、私たちの座り込みを見つけ、「うさぎがおいしいとか言ってんじゃ
ねえよー。」「脱原発とか言うのも勝手だが、公共の場にテントなんか張ってってやがよ~、違法占拠だー!
警察は極左翼を取り締まれ!」とスピーカーで怒鳴り散し、遂に、車外へ降ろされて警官と一悶着、という
場面に遭遇したりも。

次は、この座り込みを企画した「福島の女たち」からネット上に出された座り込みの報告の引用です。

座り込みの参加者数は、
27:県内70/県外735 + 28:県内65/県外608 + 29:県内75/県外818
= 合計:2371
この数字は受付で参加者名簿に、名前を書いた人数で、この他に受付を通らずに並んだ方や、デモに
加わってくださった方もいたと思います。

子どもたちにどんな未来を手渡すか。その視点で国民的議論にしたいです。
 
「原発いらない福島の女たち」は、3日間で延べ2371人が経産省前で座り込みました。おしゃべりをし
て、編み物をして、福島の現状をお伝えして、すばらしい時間を過ごしました。
最終日には、1000人が銀座の町をデモ行進したと報道されました。
日比谷公園「かもめ広場」のフィナーレでは、みんなが泣いて、笑って、歌って、叫んで、一つになっ
て、これからも、つながりあって活動していくことを誓いました。
わたしたちの切なる願いは、子どもたちを安全な場所に逃がすことであり、
二度とこのような恐ろしい事故が起きぬよう、すべての原発を廃炉に向かわせることです。
ところが、わたしたちが受けている辛苦を無視して、信じられないニュースが駆け回っています。
玄海原発の再稼働、ベトナムへの原発輸出

わたしたちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。
これは類子さんの919スピーチのワンフレーズです。
東北の鬼となって、原発利権構造維持派のみなさんに、「原発はもういらないんだ」と伝えに行きましょう。
今も、わたしたちの座り込みを引き継いで、「全国の女たち」が115日まで1週間の座り込みに入りま
した。現地は、「福島の声を聞きたい!」という人たちであふれていました。
どうしても「原発利権構造」を守りたい一部の人たちが、世界中の大多数の人たちの犠牲もかえりみず、
子どもたちへの影響の大きさも歯牙にかけず、原発稼働を推し進めようとしています。
諦めず、へこたれず、原発阻止の声をあげていきましょう!

最後に私の感想です。
20111105日になって、毎日新聞の夕刊に、女たちの座り込みの記事が大きく載ったとのことをネットで知りま
した。 社会で起こっている大問題を報道せず、あたかも無かったかのような振りをする報道関係者の良心は問わ
れて然るべきです。それでも、極端に少数ではあっても、良心の呵責に耐えられず、責任を持って職務を果たす新
聞社があるということは、社会が未だ辛うじて雀の涙くらいの健全性を残していると思っていいのでしょうか。

福島第一原発事故から7ヶ月余り。未だに収束の見通しが立たず、多くのいのちが脅かされている現状を憂い、一刻
も早く国と東電に国策の誤りを認めさせ、被災し犠牲となっている人たちへの謝罪と償いに当らせ、即時脱原発を宣
言させることで、誰もが少しでも安全に、安心して生活できる希望ある未来を見い出せるようにするため、今こそ、
私たちのひとりひとりが立ち上がることがとても大切だと思っています。

一人でも多くの人に訴え、女たちだけではなく、男たちも、老若男女誰もが参加できる運動を企画し、実行した「福島
の女たち」は強く、見事でした。子どもを生み、守り、育てる女たちだからこそ、心底その子どもらの命への危険を危
惧し、目に見えない、臭わない放射能汚染を引き起こした国と東電の責任と補償の義務を追及せずにはいられない切実
な思いが結集した必然的行動だったとも思います。
そして、彼女たちはひとりひとりが実にはつらつとして威厳に満ちていました。
明るく、非暴力で、訴えを貫いていく彼女たちの姿勢に、同じ願いを持つ私たちは、出会い、寄り添い、つながって、
希望ある未来を実現できる大きな力となっていけるよう、今後も自分にできる精一杯を尽くしたいと思います。

写真を添付して、拙い報告と致します。※写真は後日
小林邦子